宗教法人 景徳寺

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奈良県吉野郡にある曹洞宗景徳寺

景徳寺ご紹介

景徳寺の歴史

  • 景徳寺の歴史

    景徳寺の歴史

    ・約630年前(1370年頃)武蔵国(東京)よりこの地、奥吉野に、平朝臣 畠山家長が移住して 如意輪観音を祀る草堂を開く。
    過去帳→開基→俗名 武蔵国住人 平朝臣 家長 永徳二年(1382年歿)
    後に家長の子孫、畠山義就(ヨシノリ)が草堂を盛んにし、薬師如来を祀る庵を作る。
    後、義就(ヨシノリ)は京都に帰り、その家臣、大平宗助がこれらの仏像を護り、後日のための弓矢の鍛錬を欠かさなかった。
    徳川時代に入り、曹洞宗景徳寺となり、薬師堂は景徳寺の一院となる。弓矢の鍛錬は徳川幕府にはばかって薬師の祭日の儀式に名を借りて、正月中の最重要行事として今日に至り、県の無形文化財の指定を受ける。寛永17年(1640年)小野宗左衛門
    ・興聖寺木寺証文「寛文5年霜月」 1665年頃→曹洞宗に帰属

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    御本堂

    ■曹洞宗とは
    ・ 宗  名
    曹洞宗 ( そうとうしゅう )

    ・ 伝  統
    曹洞宗はお釈迦(しゃか)さまより歴代の祖師(そし)がたによって 相続されてきた正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)です。

    日本開宗
    曹洞宗は今から八百年ほど前鎌倉時代に高祖(こうそ) 道元禅師(どうげんぜんじ)さまが我が国に伝えて、ゆるぎなき基礎を基づかれ、四代目の太祖(たいそ)瑩山禅師(けいざんぜんじ)さまが一層盛んになさいました。 このお二方を両祖大師(りょうそだいし)といいます。

    ・ 教  義
    わたしたちはみな仏(ほとけ)の子(みこ)であり、生まれながらに仏心を 具(そな)えています。しかしそれに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくっています。ひとたび仏さまに懺悔(さんげ)し、帰依(きえ)するならば、心が落ち着いておのずから生活が調えられて明るくなり社会のお役に立つことを喜び、 又 どんな苦難にも耐えて生き抜こうとする信念が生まれます。 そこに生きがいと幸福とを発見するのが曹洞宗の教えであります。

    ・ 本尊唱名
    南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ

  • 景徳寺の歴史

    景徳寺の歴史

    当山鎮守 薬師瑠璃光如来
    (脇佛) 日光菩薩、月光菩薩 (御眷属) 十二神将。
    当山では、鎮守様として、お薬師様をお祭りしております。御名前の通り、お薬の仏様であり、病気を治して下さると吉野の地では古くから信仰を集めております。県外からも毎年一月八日の薬師大祭では、ご参拝にこられ村の一大行事として、盛大に執り行われております。
    薬師堂は総檜(ひの木)造りで、林業が盛んであった地域らしい趣のある造りになっております。
    (主な願目)身体堅固、無病息災、病気回復、安産祈願、心身安楽、開運満足。等々
    ご祈祷の御申込み方法)事前に当山までご連絡下さい。
    平日、祝祭日、午前九時~午後三時まで
    初参り、七五三、などの御祈祷も御受け致しております。
    御祈祷料(志納金)貴方の心を御供え下さい。
    お気軽に御申込み下さい。
    ※当山の都合によりご祈祷を御受けできない場合が御座います。その際は、誠に恐縮では御座いますがご了承下さい。必ず前もってご予約下さい。
    その他、御祈祷に関してご質問、ご希望が御座いましたらお気軽にお問合せ下さい。

  • 景徳寺の歴史

    景徳寺の歴史

    600余年前より、信仰を集めた、当山の鎮守堂

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    月光菩薩

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    東方薬師瑠璃光如来

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    日光菩薩

      月光菩薩          東方薬師瑠璃光如来          日光菩薩

     御本尊の御眷属        当山鎮守 薬師堂 御本尊         御本尊の御眷属 .
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    御眷属 十二神将

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    七千夜叉を率い薬師如来をお守りしている十二の干支将軍です。

  • 一月八日 八日藥師弓引
    河合の弓引き行事

    1月8日の薬師堂会式(八日薬師)の際に行われる弓引き行事。
    弓矢祭、弓打ちとも呼ばれる。一年交代で寺や神社の世話役を務める
    ネンニョ(年預)がトーヤとなり、青年が射手を務める。
    【 種   別 】 無形民俗文化財
    【 名   称 】 河合の弓引き行事
    【 開 催 地 】 景徳寺中庭にて
    【 保持団体 】 河合自治会

有形文化財

  • 如意輪観音坐像 (秘仏)

    如意輪観音坐像 (秘仏)

    景徳寺の本尊 ( 秘仏 ) で、黒漆塗りの木瓜形厨子に納められている。
    檜の一木造りで彫眼、両肩にかかる天衣下で矧ぎつけている。

    丸く充実した頬を胸部や右膝を立てて座る体つきは破綻のない彫刻性を示しており、
    平安初期以来の古式如意輪観音であり、14世紀の作品である。
    小像ながら均整のとれた品格のある造形は、作者の優れた技倆を示しており、
    本像の伝来した経緯は明らかではないが、本像が河合景徳寺に祀られていることは
    上北山村の歴史を考える上でも重要である。
    よって上北山村の指定文化財として定められた。

【 品   質 】 木造
【 員   数 】 1躯
【 制作時代 】 鎌倉時代 ~ 南北朝時代
【 像   高 】 9.7cm
  • 書跡 隠元画賛 出山釈迦図

    出山釈迦図とは、伽耶山での6年間の苦行を捨て真の悟りへと向かう釈迦の姿を表したものであるが、
    本図には隠元の賛が書かれており 「 乙巳 」( 寛文5年 = 1665年 )の表記を有する。隠元は中国明の福建省の人で、
    わが国における黄檗宗の開祖である。承応3年( 1654年 )に来日して万治元年( 1658年 )に将軍 徳川 家綱に謁し、幕府から宇治に寺地を授かり黄檗山万福寺を開創した。絵は墨絵に淡彩を加えて描かれているが作者は不明である。

    仏教史上、多大な功績を残した隠元自筆の画賛(書)を有する貴重な遺品である為、村文化財として指定された。

【 品   質 】 絹本墨画淡彩 掛幅装
【 員   数 】 1幅
【 制作時代 】 江戸時代 ( 寛文5年 1665年 )
【 総   丈 】 縦115.7cm 横41.5cm

無形民俗文化財

  • 河合の弓引き行事

    河合の弓引き行事

    1月8日の薬師堂会式(八日薬師)の際に行われる弓引き行事。弓矢祭、弓打ちとも呼ばれる。
    一年交代で寺や神社の世話役を務めるネンニョ(年預)がトーヤとなり、青年が射手を務める。 射手は 「 役人 ・ 本役 」 とも呼ばれ、直垂に烏帽子姿のネギ ( 禰宜 ) ・ 裃姿のカミドノ(上殿)と シモドノ ( 下殿 ) ・ 紋付袴に烏帽子姿の ユリカエシ ( 射返し ・ 引返しとも ) の4人がいる。 現在では15歳頃からネギを務め、以後毎年 『 カミドノ ・ シモドノ ・ ユリカエシ 』 の順で務める習わしで、射手を4年務めると一人前とされた。

【 種   別 】 無形民俗文化財
【 名   称 】 河合の弓引き行事
【 開 催 地 】 景徳寺中庭にて
【 保持団体 】 河合自治会
■曹洞宗本山
曹洞宗は大本山を二つもっています。
福井県にある永平寺と、横浜市にある總持寺です。
私達が父と母の両親を持つように、道元さまの永平寺と、瑩山さまの總持寺を両大本山とお呼びします。
■曹洞宗の歴史
インドでお生まれになられたお釈迦さまの教え、おさとしを幾世代にも渡って祖師方が、悟りの生活を通して、師匠から弟子へと受け継ぎ、インドから中国そして日本に伝えられてきました。曹洞宗の源はお釈迦さまですから、ご本尊さまはお釈迦さまです。
そして、お釈迦さまの教えを日本に伝えられ、京都 興聖寺、永平寺を開かれた道元禅師を「 高祖 」 ( こうそ ) とあがめ、總持寺を開き、教えを全国に広められた瑩山禅師を 「 太祖 」 ( たいそ ) と仰ぎ、このお二人の祖師を 「 両祖 」 と呼び、この三師を「 一仏両祖 」 としてお祀りしお慕い申し上げ、信仰のまことをささげています。 礼拝時は「南無釈迦牟尼仏」と、お唱えします。現在は、全国に 約15,000 の寺院と、1,200万人の檀信徒がおります。